働かないと価値がない

働くしかない環境か?

小さい頃から 母が働いていた為私は弟や妹の面倒を見るように言われた。一番いやだったのは、弟の保育園お迎えだった

父が迎えに行けない時は 家に電話があって夕方から弟を迎えに行く。母はデパートにパートに出かけ、7時半にならないと帰ってこなかったから

弟は一番下で、跡取り息子だった そのため小さい頃から何でも買って貰えていたし 弟を泣かしたりする事はいけない事だった

保育園からの帰り いつも近道して帰りたいのに 弟は歩きたがらなかった 

駄々をこね、そのため毎回違う道もあるよと話し 何とかなだめて帰っていた。買って貰ったレゴも、私が組み立て 弟は見て喜んだだけ あとは放置なので 自由に組み立てして楽しんでいた

母は常に働いていた。夏休みも家で過ごしていた事は覚えていない

常に働いていたのはなぜか?

家族が好きではなかったのかな?生んだだけなのかな?

昔の自分がそうだった様に 育児は長女など兄弟がするものと認識していたのは間違いない。

だって夏休みの宿題もいとこが手伝ってくれたから

弟に関しては ほんとに生んだだけ 夏休みの宿題も私に頼んできたくらいだった

 妹たちに関してはどんな風に育ったかは覚えていないくらい母との接点は少ない いつも叔母が言っていた

「あんたたちのお母さんは苦労したんだよ」

父にとって働く母は価値があったのかな?

でもいつも資格が無いからと母を責めていた父。泣いていた母

子供はどうしたらよかったのか 今でも答えは見つからない

父は父で 働く理由があった 父の弟が大学に行くことになったからだ

父は家計が大変だからと言う理由で 中学卒業から父方の親戚からの紹介で働くことになった

父の妹や弟は父の事はどの様に思っていたんだろう

祖母はどうだったのか?父に対しては冷淡だったと思う

家に来ても形式だけ、一日泊りあとは叔母の所に行っていた

叔母の所が良いなら そのままそこに居たらいいのにと子供心ながら思ったもんだ

祖母が入院すると 父が夜も泊まり込んで看病していた

母は私に付き添いをして来いと言って バス代を渡し行かせた

祖母のおむつ交換もしていた まだ中学生の頃だったのに。

叔母は母が入院付き添いに来ていないことを批判していた

自分はお見舞いくらいで 全く付き添いもしていなかったくせに

そんな事をしているうちに 祖母は亡くなった

祖母の葬式に初めて叔父に出会った それだけ疎遠にしていたのだ

働いていたいた父に対するねぎらいの言葉は無かったと思う

仕事に逃げていた母 仕事しながら祖母の看病をしていた父

どちらが正しいとか 正しくないとかわからない

あの時はそうせざる終えなかったから

過去には戻れない 

作成者: maedasan

沖縄生まれ、結婚後北海道に移住し、20年生活。 老後は故郷で暮らしたいと沖縄に戻る 看護師歴25?年以上。いつまでも働く看護師を目指すよ

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