働かないと価値がない?

私の生い立ち

私は会社員の父と専業主婦の初めての子供として生まれた

寒い朝 1っ月近く早く生まれたと聞いている。ただ私が男子なら

妹たちは生まれて居なかった。母は跡継ぎの男子が欲しかったらしい

その後も3人姉妹になり、最後は産み分けなるものをして弟を生んだ。その時に不妊で悩んでいた弟嫁に、この子(弟)が居れば

他の子供は要らないと言ったそうだ。

私が男子なら……考えると怖いが、生まれてきた妹達が気の毒すぎる

夫となる父に愛情は無かったようだ。何故ならかなり馬鹿にした言い方をしていたから

「いつも下を向いてないで、猫背はだめだよ」 母に言われたっけ

今風に言えば 母は毒親だったかも…と思う。

自分の思う通りに子供がならないと いつも切れていた

家を片づけない。ご飯を作って居ない 親戚に挨拶しない

弟の保育園の迎え、あれこれと文句が多かった

父のモラハラに耐えかねて 娘に愚痴っていたけど

それってやってはいけない事だと 自分が子供を持って分かった

愚痴のごみ箱に子供をしては行けないのだ。

息子が「母さんは、子供に八つ当たりしないで」と言われなければ

私も同じ道を選んでいたかもしれない

息子には感謝している。母と同じ道を選ぶことをしていない

敢えて違う道を選んでいる。

晩年の父は 可哀そうなくらい母の言いなりだった

いつも母に怒鳴られ 言い返しもしなかった 父が入院した時も

手術の時も母はすぐに家に帰って行った。疲れたと言って・・・

夫から嫌な事をされても夫の収入に頼って生活して 年を取って相手が弱ったら攻撃するなんてそんな事したくなかった

その両親のもとに育ち、長女だからと言う呪縛に絡まれて

いつも両親の顔色ばかり気にする子供に育った。

長女だから成績もしっかり 弟や妹の面倒を見なさい

家事もする お盆には親戚の相手もする

出来が良い従妹とは 比べられ ほんとに昭和の子供?

母は毒親だったんじゃないかと考える

いろんな事があっても 縫物の内職する母の近くで

勉強したりするのは好きだった

その時しか母親と会話出来なかったからだ

家計が厳しいこともあって いつも内職していた

デパートに働きに出た事もある。

要するに母と何か接点をもつならもその時間しか無かったのだ

昔の話 過去は戻って来ない

作成者: maedasan

沖縄生まれ、結婚後北海道に移住し、20年生活。 老後は故郷で暮らしたいと沖縄に戻る 看護師歴25?年以上。いつまでも働く看護師を目指すよ

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